青宿村のおこり

今から七百年も前のむかしのこと、仙台の殿様が霞ヶ浦の東の方にある鹿島神宮へ、北の海からはるばると船に乗ってお参りにきました。


  神宮のある関東の地は、東北の仙台よりも気候がおだやかで暖かく、土地は平らで広々としていました。その上、広いきれいな湖があって草や木が豊かに茂っていました。殿様は、この地がたいへん気に入り、お参りがすんでからも、何日もかけてあちらこちらと見てまわりました。


 そうこうしているうちに、仙台に残してきた奥方のことを思い出し、一度この美しい関東の地を見せてやりたいと思い立ちました。さっそく、手紙を書いて家来を使いに出しました。


 仙台では、殿様が無事にお戻りになるように、神様にお祈りしながら奥方が待っていました。そこへ殿様からの手紙が届いたので、奥方は何事が起こったかとおそるおそる手紙を開いてみました。


 手紙を読んで、奥方は天にも昇るような喜びようでした。すぐに支度をして、家来たちとともに船で関東に向いました。

 船が利根川から霞ケ浦に入って、鹿島神宮に近づいた頃にひどい大風が吹き荒れて、霞ヶ浦の奥の方に流されてしまいました。流れついたところは、まこもが青々と生えしげった岸辺で、その奥には草木が見事に美しい陸地が見えました。奥方と家来達はひとまず陸地に上り、粗末な小屋を建ててそこを宿にしました。何日かそこですごしているうちに、身ごもっていた奥方に赤ちゃんが生まれました。それでしばらくここにいて、からだを休めることにしました。そして、裏山に鹿島神宮をおまつりして、皆が無事に仙台に戻れるようにお祈りしました。

 しばらく暮らしているうちに、奥方も家来たちもこの地がすっかり気に入ってしまいました。奥方のからだもよくなって、仙台に帰れることになりましたが、この土地からはなれにくい気持ちにりました。いろいろと考えた末、この土地を仙台藩の領地として、新しい村をつくることにしました。そして、長南市郎兵衛ほか6人の家来に村づくりの仕事を命じました。市郎兵衛等は喜んでおひき受けして、奥方のお帰りになる船をお見送りしました。

 それからすぐに、6人の人達は土地をきり開き、田畑をたがやし、家も建てて立派な村をつくり上げました。裏山におまつりした鹿島神宮も、新しく建てかえて鹿島神社としました。


  村の名前も青々と草木の茂った土地にできた住み家ということで「青宿」としました。その頃から始まった年中行事の一つで、「おばんず」という行事が今でも九月に行われています。

  それは市郎兵衛家の裏山の竹をつかって竹筒をつくりそれに甘酒を入れて付近にまつられた神々にかけて歩くという行事です。仙台へ奥方が無事に戻り、青宿の村が立派にでき上がったお礼として、神様に甘酒を供えたものだと思います。