青宿のお庚申さま

 今、青宿でお庚申さまの集まりがそれぞれのグループで行われていますがその由来や意味は良く解らない人が多いと思います。

  正式には庚申(かのえさる)の日、夜明かしをして飲み食いをして厄落しをする集まりで、その根源は中国の道教の思想にあるとされ、わが国には平安時代に伝わり、最初は宮廷の公卿たちの間で行なわれていましたが、そのうち武家社会に伝わり、常民の間に普及したのは江戸時代になってからといわれています。

  神道では日本神話の猿田彦の神を御本尊としていて、仏教では青面金剛(しょうめんこんごう)を御本尊としています。青宿で行われている庚申さまの掛軸には青面金剛が鬼を踏みつけてその周りに三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)がいます。仏教が広まってから常民に普及しましたので一般的にはこの掛軸が多いと思われます。

信仰の概要は、十干十二支の庚申(かのえさる)の夜、(60日に1回庚と申はめぐり合います)に人間が眠ると、その体内にいる三尸(さんし)という虫が体内から抜けだし、天帝のもとに行ってその人の悪行を報告します。それを聞いた天帝はその罰としてその人を早死させるというのです。

  そのため庚申の夜は飲食して談らんし、夜明けまで眠らずに身を謹しむという信仰です。
 
  庚申の日には守らねばならないことが多く、まず※同衾(どうきん)を忌むこと、もしこの夜に子供ができると盗人や不具になるといわれます。夜業や結髪なども禁忌とされ、食べ物も肉類やニラ、ネギ等は避けねばなりません。

  身を謹むことから始まりましたが、徐々に米や野菜、お金を持ち寄り、皆で飲食・歓談して過ごす楽しい集まりになっていきました。また、さまざまな情報を交換し、農作業の知識や技術を研究する場でもあったようです。この集会を3年18回続けた記念に建立したのが庚申塔です。長寿や健康のみならず、家内安全や五穀豊じょう、現世や来世のことなどを祈り、それを碑面に刻みました。
 
  青宿鹿島神社の入り口の右側にもこの塔があります。青面金剛と三猿が彫られており、造立の年月日も見えます。(元文5庚申..と読めますので1740年?)江戸時代後半のものだと思います。

  現在はこれらの戒めなどは多少緩和され、おひらきは夜12時頃、高級牛肉も食します。集まる日も庚申の日に限らず参加する人の仕事などの都合のいい日の土曜日などに行われることが多く、1泊の旅行に出かけるところもあります。最近は日本酒が高級化してきて「久保田」「霧筑波」はあたりまえになりました。

  いずれにしても、平安時代からの風習が形を変えながらですが現在も続いているというのはおもしろいことです。二十七夜講、天神講、犬供養など古くから今も続いているものの、その由来や意味を調べるとロマンを感じます。

※同衾(どうきん): 一つの寝具の中に一緒に寝ること。特に、男女が特別な関係を持つこと。ともね。

青宿にもいくつかのグループがあり、やり方は少しづつ違うかもしれませんがそのうちのひとつを紹介します。

  10軒でひとつのグループとなっており、開催する日は庚申の日に限らず、だいたい1年に2度、当番の家で開催されます。当番の順序は決まっていて庚申さまの掛軸は当番の家に順番に廻って行きます。当番にあたったら、全員に開催する日時を電話などで知らせます。当日の欠席は許されません。当日、前回当番の家に掛軸を迎えに行き、当家は酒や料理を用意し、庚申さまの掛軸を掛け、当日食べる料理をお供えし、線香を用意して招待者を待ちます。

  招待者はお金(会費)を持って当家に集まり、挨拶をしたあと線香をあげ手を合わせ、掛軸の前にお供えした御膳に会費をおきます。会費はのし袋や封筒には入れずにそのままです。

6時半か7時ごろから酒宴が始まり、適当な時間を見て掛軸をおろします。これは、掛軸が掛けてある間に地震があった場合、お膳を作り直して再開しなければならないというルールがあり、地震が来ないうちに掛軸をおろしてしまおうということです。

  料理は、正式には肉、ネギなどは禁忌とされているそうですが、特にそのような制限はなく、一般的なおもてなし料理だと思います。いつも同じメンバーなので、酒はそれぞれの好みに合わせて用意し、日本酒、焼酎、ビール、ウイスキー等さまざまです。

  酒宴での話題はその時々の世間話などで4、5時間費やされ、カラオケなどはしません。

  おひらきの時間はなるべく遅いほうがいいようですが、だいたい深夜0時ごろを目安にしています。酒宴の最後はご飯とお吸い物が出され、全員で食べないとおひらきになりません。