西暦 |
歴 史 |
1300 |
青宿村がすでに存在している |
1600 |
若栗で祇園祭が行われており、青宿もこの頃には行われていたのではないか |
1932 |
現在の神輿がこけら落し 制作費は470円 |
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土浦の川上塗装店からいま担ぎ出そうとしている若い衆(頭の祖父がいます)約50人と区(部落)役員と新町の名士(当時は新町も青宿でした)約30人が写真に写っています。
彼らはそこから国道125号線沿いに5km以上の道程を青宿まで紅白のもちをまきながら担いできたのです。
我々も先輩のすばらしい胆力は見習う必要があります。
写真は東(長南秀男宅)提供
昭和7年 |
1941〜1945 |
戦時下のため神輿はお仮屋に飾るのみ |
1946 |
青年会により神輿巡幸復活 |
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こけら落としの写真の担ぎ手は、明治生まれが中心ですが、この写真は、大正後半から昭和10年生まれぐらいまでが中心です。
学帽をかぶっている少年は、当時の常陽中学の生徒だそうです。
正確な撮影年月日はわかりませんが、終戦直後の頃だと思われます。
寿会他関係者の皆さんに、名前を確認中ですが、約9割が判明しています。
クリックすると名前入りが表示されますので、ご覧ください。
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1960 |
担ぎ手不足のため大人から中学生に受け継がれる |
1968 |
中学生による神輿巡幸もこの年まで、子供は継続 |
1981 |
消防団により神輿巡幸再復活 |
1983 |
青宿むつみ会が半纏として登場、実態は無し |
1989 |
青宿むつみ会が発足。初代頭に小倉衛氏 |
1990 |
鳳凰等お飾りと担ぎ棒を新調 |
1990 |
まい・あみ・まつり’90(第1回)に参加 |
1993 |
真鍋四丁目が獅子を出してまい・あみ・まつりに応援参加、兄弟会を結ぶ |
1995 |
阿見連合が結成される |
1996 |
神輿の破損が激しく大規模修理をする |
1999 |
二代目頭に竹内義光氏 |
2001 |
三代目頭に飯塚秀夫氏 |
2001 |
原和彦氏、むつみ会代表としてまい・あみ実行委員長となる |
2002 |
第1回宵祇園演芸大会が開催される |
2003 |
長南栄一氏、むつみ会代表としてまい・あみ実行委員長となる |
2003 |
真鍋四丁目が兄弟会10周年としてまい・あみ・まつりに応援参加 |
2004 |
四代目頭に飯塚久之氏 |
2004 |
ホームページ開設 |
2005 |
長南貢氏、まい・あみ実行委員長となる |
2006 |
五代目頭に長南栄一氏 |
2007 |
神輿庫新築 竣工奉告祭実施 |
2008 |
六代目頭に長南秀男氏 |
2008 |
結成20周年事業として木札作成 |
2010 |
七代目頭に長南弘二氏 |
2011 |
野口雅弘氏、まい・あみ実行委員長となる |
2012 |
八代目頭に天田充春氏 |
2014 |
九代目頭に横田重雄氏 |
2016 |
十代目頭に石川健治氏 |
2018 |
十一代目頭に飯塚昭人氏 |